森本研二

介護との出逢い

小さいころからおばあちゃん子だった私は、平成元年の小学校4年生の頃に実家の学習デスクを勝手におばあちゃん宅に持っていき、高校卒業までおばあちゃん宅で過ごしました。実家のとなりですが…笑

勉強は得意な方ではなく、高校の進学も前向きに考えられない時期もありました。当時目標や夢がなく、やりたくないことばかりありました。

おばあちゃん子の私に父のアドバイスは「福祉科に行け」でした。そして当時は珍しかった福祉科に通った3年を経て、福祉や介護の分野に興味が持てるようになりました。

福祉分野の追求心とまだ就職したくないという甘えから専門校に入学し、親のすねかじりを続けました。

専門校では社会福祉という分野の広さ深さをクラスメイトと学び合いました。今思えば、そのクラスメイトに時任代表と中山総部長がいたことが大きな転機だと思います。
そういった代表や総部長をはじめ仲間と共に、日々学びと遊びを繰り返し就職していく時期を迎えます。

この時、代表や総部長は起業へ向け動かれていました。そんな仲間をよそ目に私は平成12年の春、無難に就職の道へと進みます。

理想と現実に苦悩した20代

高校、専門校と介護や社会福祉を学び、個別支援の展開を実践するぞ~っと意気揚々に務めたのは病院内のデイケアでした。

しかし、現実は理想と程遠いものでした。利用者さまの扱いは一律的で流れ作業の入浴・食事・余暇活動を経ての帰宅。漠然とした違和感だけが続きました。私自身若かったこともありそのデイケア事業自体深くは見れていなかったかもしれません。勤務体制もハードで介護現場の苛酷さを実感したのもこの頃です。

退職後は、郵便局や小料理屋などいろんな職種に触れまた違った社会経験をしていました。その時代も楽しかったのですが、正直、真のやりがいを見いだせず過ごしていたことも事実です。
違う社会に触れることで、介護や福祉の現場に対するやりがいを再確認できたことはこの経験からきています。

そんな私の現状を知ってか…代表や総部長から「一緒にやらないか!」と声を掛けていただきました。というのも代表達が任意団体で移送サービスを宮崎に定着させようと奮起していたころに部分的ではありますが手伝っていたこともあったので。

やりがいのある仕事に出会えた今

平成15年の春、車イスの送迎やヘルパー派遣事業のオープニングスタッフとして起用していただき、毎日があっという間で1ヶ月、1年が一瞬でした。ここでは自分が理想としていた個別支援の現場でしたので、やっとこの職種に出会えたという喜びと見失っていたやりがいを取り戻すことができました。

在宅ヘルパーという個別支援の現場は、郵便局時代の知識や土地勘、小料理屋で培ったおもてなしの心配りなど…利用者さまの日常を支援するうえで役に立つことも多く、人生の寄り道も決して無駄ではなかったと自信を持って言えます。

個人的な見解ですが、福祉の現場ほどいろんなお仕事をされてきた方が多い分野はないと思います。どんな職種でも福祉の現場は経験を活かせる仕事だと思います。

特にこの会社は、宮崎に無いものを先駆的に取り組んできた会社です。ですので、ないものねだりではなく、どうすればいいのか…という工夫や創造から始まった会社ですので自分たちの想いを形にして実践しやすい会社です。

これからの会社、これからの自分

平成28年の春で13年目を迎えました。
この会社で様々な利用者さまの生活を通じてたくさんの経験や成長ができました。一時期は事業管理者まで担いましたが、経営面や人材育成面などに関して私自身の未熟さもあり、もう一度きちんと現場から…という気持ちで現在は介護事業部リーダーをさせていただいています。

まずは、会社のビジョンをしっかりと共感し、リーダーとして仲間やチーム作りを盛り上げていきたい。また、外部とのネットワークで培っている繋がりや自身の子育て経験などを参考に、働きたくなる、働きやすい職場環境づくりを実践しています。

振り返ると、自分の意志が薄くいろんなことに流され続けた人生でしたが、今は仲間とともに目標を持てるようになりました。今後取り組みたい事業計画もあります。

まずは、自分を知ることからはじめましょう!大切なものがきっと見つかりますよ!
あなたも一緒に… 人生をNewにCreateしませんか?

個別支援