時任博之

出身:宮崎県串間市

串間で育った子ども時代

父、母、弟の家族4人。父は時任建設という土木建設業を営んでいました。 小学校から中学まではバレーに打ち込み、キャプテンとして県代表に。子ども時代の夢はバレー選手か学校の先生でした。

小学校のバレーの監督自分の監督は今でも交流があるくらい教えてくれたことはずっと胸の中にあるのですが、小学校のバレーの監督が恩師。その人の教えをずっと胸にある。教育者の人格が大事。経営者も似てる、経営者も性格や人格が大事。

両親共働きだったので、弟と過ごす時間が長かったです。ソーセージ焼いたり味噌汁作ったりなど料理もしましたし、特に掃除が好きでした。
母が帰宅した時に喜んでもらえるのが嬉しかったんですね。

高校は進学校へ進み、成績もいいほうでしたが、特進クラスを勧められたことをきっかけに、だんだん勉強が無意味に思えてきて 「自分の力で社会を切り開いてみせます。」と先生に言い放って不登校に。8ヶ月間学校に行きませんでした。
その間、近所のオジサンと仲良くなって話を聞いてもらったり、いろんなことをして過ごしました。 バレーの恩師や友達からも登校するように説得されましたが1番効いたのは弟、俊輔の「兄ちゃん、学校くらいいきないよ」って一言がストレートに突き刺さったからですね。
高校2年の1月からふたたび学校へ。

郵便局長の勧めで介護の世界へ

なんとか高校を卒業し、母の縁で大阪の住宅建築会社へ。初体験の大工仕事でしたが、現場は最高に面白く、がむしゃらに働きました。社長からは後継ぎの期待までかけてもらいましたが、身体を酷使しすぎて1年半でヘルニアになりやむなく退職。

宮崎に戻り、郵便局の試験を受けましたが通らず、臨時職員として働かせてもらうことに。郵便局の仕事も新鮮で楽しかったです。1日の配達ノルマは半日で終わらせていたので、窓口にも立たせてもらいました。人と話すことは昔から好きなので、お客さんとも自然に仲良くなり、売るつもりではなくてもゆうパック、かもメール、年賀状などの営業成績は常にトップでした。

ある日、局長から 「君は郵便局員でいるのはもったいない。君の能力をもっと生かせる場所があるんじゃないか。」 と、パンフレットを差し出されました。
それが田野町にある「医療管理専門学校」でした。

その時、学校の先生の夢を思い出した。児童養護施設。これいいかなって思った。

臨時なのに、大送別会をしてもらい専門学校へ。そこで中山や森本に出会いました。

学校には、病院や施設からのボランティア募集掲示板があって、好奇心旺盛な自分は、老人ホームのボランティアに行ってみることにしました。
最初の仕事は、筋ジストロフィーの患者さんとお買いものに行くことでした。 1対1の会話は得意ですの楽しくお手伝いできたのですが、実はその患者さんは誰とも相性が合わず、病院側も困っていたところ、僕のことをすごく気に入ってくれたようで、次から指名が来るようになったんです。病院も学校も喜んでくれて、学生の立場ながら、長期の旅行にも同行したりしました。
そんなボランティアをする中で驚いたことがありました。車椅子の方々は外出時は専用タクシーで移動するのですが、料金が1万以上と、その高さに驚きました。でもそれが相場だそうで、それゆえ外出は半年に1度くらいだというのです。

高校時代、家に引きこもっていた時を思い出しました。あの世の中から取り残された感覚。年に1~2回しか社会参加する機会がないなんて引きこもりと同じじゃないか。それでは気持ちも暗くなってしまう。

車椅子用タクシーは、「大型」が普通でした。もし小型タクシーでの送迎が可能だったら、、、、。病院にアンケートを取ると「利用します!」って声がかえってきました。利用条件の無い、気軽に使える送迎サービスを作ったら、きっとこの方々達に喜んでもらえるはず! そう確信したことが「ニュークリエイト」のスタートでした。すぐに専門学校の仲間だった中山に声をかけ、最初は断られましたが熱意を伝えて一緒に始めることになりました。

中山と2人で創業

学校の卒業を待たずに、1台の車を購入し事業スタート。価格はタクシー料金の半分に設定し「どこでもドア」事業と命名。

最初は30人ほどの利用者さんでしたが、運よく新聞やテレビで紹介していただき、半年で90名、1年で120名まで増えていきました。

ニーズは捉えていたのですが、人件費と車の維持費が思ったよりかかり、採算ベースには程遠く、最初の数年は自分も中山もアルバイトをしながらの運営でした。正直辞めようと思ったこともあります。
3年目、国の介護報酬制度が新しくなったことをきっかけに、法人化し、ヘルパー事業をスタート。これがわが社の主軸になりました。
会社が大きくなるにつれ、自分たちもプレーヤーからマネージメントの立場への変革が求めれてきます。ずっと存続していく会社づくりのために

いま「どこでもドア」の利用者さんは約200人。車両の維持にご協力していただけるスポンサー制度を導入し、現在100社以上の個人、企業にご協力してただいています。
採算性の高い部門ではありませんが、ニュークリエイトの原点であり、「いつでも 誰でも どんな時でも」移動手段を持つことはとても大事なこと。経緯に対して敬意を払い、ニーズがある限り続けていきたいと思っています。そのためには生産性と効率性を高めることが急務ですね。